草コインまにあ

芽も出てない草コインを適当に拾い集めるブログです

介護施設から見る幸せ

今日はどうしても人が足りないから手伝ってくれという事で介護施設に行って参りました!
資格は有りますが全くの未経験ですし願わくば一生やりたくない仕事と思っていましたがやってみると感じる事があったのでここに記します。

色々な人が居ます。
ジジを立たせてオムツを替えながら、娘のオムツを替えているのを思い出しました。
保育園から始まって介護施設で終わる人との関わり
妻は保育園で働いているのですが、仕事の内容は同じような物と個人的に思いましたが、違う部分を考えると少し感慨深いものがありました。
それは園児は悪い行いをしたり怒られたりしながら覚えていく事ですが介護施設利用者は逆に悪い事は基本的にしないです。
これって凄くないですか?
ワガママ言って甘えるジジでも自分の子供の名前思い出せなくても、悪い事はしない人は全くしない。
どんなに記憶を失っても幸せに生きられる人は幸せなまま死ねる。
逆に記憶を失う失わないは関係ないですが、意地悪で自己中心的な考えの人はボケても一生そのままで不幸だと思います。
水をもらっただけで、まぁ!美味しいお水をありがとうと言うババと、水何てケチくさい物私は要らないよ!等と言うババ、世話をしている中ではどっちもかわいいと思って世話しましたが本人が幸せかどうかは本人が決める物なんだなという事の究極を見せられた気がしました。
水にすら感謝出来る人はきっと対人関係も上手くいき、そんなに喜ぶならと色々な物をもらったり家族も含めて幸せな生活をしていたでしょう。
文句を付ける人は、その逆の人生だったのでしょう。
そう言う事によって自分を守る壁を作るのでしょうが、それによって他の人が入る部分すら埋められてしまって孤立してしまう。
孤立してからやっぱりそうだったんだと思い込む悪循環。
しかし施設に入ってしまえばそんな壁があろうと無かろうと基本的には同じように接します。
本人の思いのみが幸か不幸かを分ける。
お金があると幸せというのは全くの間違いだと強く思わせられました。
娘が幸せになれるよう、何にでも感謝出来る人間になれるよう、私自身も感謝して生きて行きたいと思います。

もう一回手伝いにいくのでまた何か感じたら書きますね!